心を落ち着けて、学習に取り組もう!

Learn with composure.

 山手学院新河岸校が新しい校舎に移転開校した。新河岸校が開校したのは1986年だから、地域の子どもたちとともに一世代を歩んできたことになる。これから、次の世代が新しい校舎で学んでいく。
 新河岸川は、伊佐沼を起点に、荒川と並行して流れる。江戸時代から明治時代にかけて、新河岸川は舟運で賑わい、新河岸川の仙波、川越五河岸、福岡などの河岸から、隅田川の千住、花江戸の河岸まで、37ヵ所の河岸が存在した。大正時代に入って鉄道に代わられるわけだが、東上鉄道(東武東上線)敷設に大きく貢献したのが、福岡河岸で回漕問屋「福田屋」を営んでいた、衆議院議員の星野仙蔵(1870-1917)である。仙蔵は、小野派一刀流剣術免許皆伝であり、埼玉県立川越中学校(現・川越高校)の武術嘱託教師でもあった。
 川越中学校の生徒たちへの剣術教練は、『練膽操術』という書籍にまとめられている。柔道家の嘉納治五郎が序を寄せ、「体育法は筋肉を円満に訓練し、健康を増進するをもって、主要なる目的とす。その方法種々ありといえども青年をして深く趣味を感ぜしめ実行の念を強からしむるに欠くべからざる要件二あり。その一は直接利益を予期せしむることにして、その二は勝敗を決することなり」と書き、この二要件を備えたものとして柔道と剣道を推奨している。
 『練膽操術』では、不動精眼の構えが基本となる。左足を右足に引き付け、両肘を軽く体に接し、切っ先を目の高さにすると同時に左手をもって柄頭を握る姿勢である。
 この基本の構えから、刀を円相に開き、上段から右左の下段に構え、右左八相、右左斜めの構えをとる。さらに、右左に霞め、面を防ぎ、もろ手に突き、入り身に構え、脚を曲げて龍尾に打つ。
 「龍尾に打つ」とは、面を防ぎつつ相手の胴あるいは足を切ろうとしてさらに面に打ち込む挙動のようだ。また、「面を防ぎ、前を蹴れ」という挙動もある。 
 練膽操術によって、練膽、礼儀、廉恥、忍耐、規律の諸徳を養うことができると川越中学校の校長も認めていた。
 星野仙蔵が営んだ福田屋は、現在、ふじみ野市立福岡河岸記念館として残っている。玄関を入って、すぐに商家の帳場があり、大福帳が開かれている。その奥の間に「神道無念流道場壁書」が掛けられている。仙蔵自身、神道無念流の免許を持っていた。
 壁書を要約すると、「天下のために文武を用いるのは、治乱に備えるためだ。治にも乱を忘れず。だから、武芸を一時も廃してはならない。そもそも剣は死生を瞬息の間に決する業であるから、その技法に精通する必要がある。とことん学び、極めることを願うべきだ。武は戦を止める業であるから、一、争う心があってはいけない。心の和平が必要だ。短気で勝手な人は剣を知らないほうがよい。一、正しい行いの上に武がある。行いが正しくない人の武は害だ。一、正義に用いれば武の徳であり、不正に用いれば暴力だ。一、喧嘩や口論をするな。個人の意趣や遺恨に用いるな。一、堪忍の二字はすべてに共通するが、怒りを抑えるのが第一だ。一、他流の悪口をいうな。剣を知らない人に向かって、武芸を自慢するな。いたずらに技量を争い、誉れを競うのは、いやしい心だ。」
 神道無念流の「無念」は、「自我に囚われるな」ということである。
 剣や武を「学習」と置き換えても同じだろう。自分の心を落ち着けてから、学習に取り組んでほしい。

学院長 筒井保明